た行

「ターム」
学術用語。専門語。
体系学においては、その体系において頻出する語彙のことを指す。
「体系」
①人間が作り上げた一定の秩序が持たれる要素の総体。
精神なども体系の一種とみることができる。
②一定の秩序が持たれる要素の総体。自然なども含めるらしい。
「体系学」
①生物界の分野
②造語。人間が作り上げた体系をその発生や外部(内部)からの影響などから考察する学問。
心理学的色彩を帯びる。しかし正確には心理学は体系学の下位分類である。
可能性の提出が体系学の主な仕事である。そのため、体系学の仮説どうしは矛盾していてもよい。
「体系保護装置」
造語。体系学の概念。体系を保護するために機能するターム、メソッドなど。
精神分析における自我の機能に似る。
その精神分析が自らの体系保護装置に気付けないのはお笑いである。しかしこれも自我の機能によるものなので仕方ない。
「対象a」
ラカンの精神分析における主要概念。aの部分はアーと発音する。筆者は初見の誤解からエーと発音する。
用のないゴミとして現れたりときにはおぞましいものとして現れたりする。倒錯者にとっては万能感、幸福感を与えてくれる魔法の薬である。
ボロメオの輪においては中央に位置し、幻想から裂け目を覗いたときに現れる現実界の「顔」が対象aである。
それは「主体」や「体系」にとって真理を意味する。
とまあ単純化した説明はこんなものである。精神分析関係のテキストでは本来は説明が難しいのかあるいは衒学的な含みを持たせたいのかややこしい説明がなされる。誰だかが収集した七つ(だっけ)の定義を引用してもいいが、ここは個人の思想による辞典なのでやめておく。気になる人はググろう。

さて精神分析において精神分析に関係のない患者の言動は、ゴミとして扱われ、無視していいものとされる。
これは精神分析にとっての対象aでしょうか?精神分析厨のみなさん、シンキングタイムです。

「太平洋戦争」
第二次大戦を日本を主体にしてとらえたときに用いられる呼称。
特にアメリカとの戦いが主軸に語られることが多い。
当初はアメリカの魚雷が命中してもぜんぜん炸裂しない仕様だったり、真珠湾攻撃などにおいて日本が優勢になるも
ミッドウェー海戦などを皮切りにどんどん力負けしていった。圧倒的工業力と科学者の重用がアメリカの勝因だったとみられる。
物質は有限だが精神は無限(?)なるスローガンを掲げた日本兵及び日本人の精神性と練度は驚異的で、衰退しがちだった国力にしては善戦したらしい。
原子爆弾の投下が終戦に決定的なものとなった。


「大東亜貿易」
造語。東亜重工と太東貿易をモデルにしている。


「ただしつけもの、テメーはダメだ」
ボボボーボ・ボーボボのセリフ。だがこれは実は……?
ネットなどでは主に何かをハブにしたい時に使う。
「立場」
物事に対する主体のポジション。
この辞典の項目などは筆者の性質上、さまざまな立場によって書かれている。なので項目同士で立場の食い違いが見取されることもあると思われる。
狭窄性無省認知で固定的な立場を持っていようとしない限り、立場というのは流動的なものであると思われる。

「多分」
情報の正確性においてあまり責任を持ちたくないときに用いられる言葉。
しかし情報は根源的に不確定なものであり、そう考えると本来は全ての文章において多分という言葉は用いられるべきなのである。多分。
「ダライアス」
海洋生物(たまにその他)を相手取って戦う横スクロールシューティングゲーム。
ゲーム性はいまいち……という評価は多いものの、シューティングゲームにおいて「演出」を重視したことは画期的であった(外伝~)。あとでかい筐体が特徴的。
某ゲームではゴライアス外伝なる悪ノリの産物であるモンスターが登場する。しかも海洋生物の形をしていない。

「誰によって?」
wikipediaにて用いられる(体系学的意味での)ターム。主に「誰が」という主語が抜かれた文章に突っ込みとして使われる。
この辞典においてはおそらくこういう人もいるだろう、という曖昧というにはあまりにもふわふわした観測に基づいた文章に突っ込みとして使われている。

「短縮造語」
造語。本来助詞などを挟んだりして長くなる言葉を重要な部分のみを残して意味を現すときに作られる語。
意味を伝えることを目的にした表現においては必要ではないが、文章の簡潔性や見た目、耳障りのいい感じを追及するときなどには行われる。
文章の形式自体が文章の意味に多少の影響を与えるという議論についてはここではパスする。

ある意味を伝える語を選ぶ場合、しようと思えばかなり長大な文章にすることもできる。しかしめんどうくさいため、例え不正確さを伴っても短めの言葉が使われることが多い。
そう考えると、造語とは基本的には短縮造語だという事ができる。

「単芝」
文末におけるwを一つにすること。vipなどでは「もっとつけろ新参!」などと否定的な意見が多い。なぜ否定されているのかは意見がわかれる。
こうしたものも規範言語の一種であると考えられる。そういう意味で、(新)規範的・自由問わずネットは新たな言語活動の宝庫である。
ニュアンスの表現において正確性を規す為、筆者は単芝を使うこともある。


「対象における男性の干渉の不在」
造語。精神分析的にロリコンやペドフィリアや百合に傾倒するオタクを説明する際に便利である。あと処女厨。
存在に(父性的な)所有痕、去勢痕、男性痕が存在しない、乃至希薄であることは、欲望の対象として適当である。(なぜなら、欲望はそれらを持たない母子関係の回帰を目的の一つとしているのであるから)


「断絶」
行き来が困難で特殊な方法によってでしか不可能なオブジェクトとオブジェクトの関係。または完全に行き来不可能な関係。差異なども含める。実はつながっているが、断絶のように見えるため断絶と呼ばれることもある。


「チャレンジしない後悔より、チャレンジしたことでの後悔のほうがマシ」
チャールズ(チャーチルだった)の名言。原文を見ていないしうろ覚えである。
しかし世の中にはチャレンジすることで不幸のどん底になる人間が存在する。筆者はネトゲと投資にチャレンジしたことでもともと底辺だった人生がさらなる底辺へと落下していった。資本主義のイギリスの首相らしい発言である。彼のファンにはこの発言で投資を始めたものもいるだろう。そのあとどうなったかは定かではない。


「中二病」
①ファンタジーなどに強い共感を示す
神話や伝承などを中二病とする考えもあるが、これには反論もある。
形態は似ていても、その発生や、歴史性を鑑みれば、両者は異なる……というより、祖先と子孫の関係なのだ。
太古の神話は、自然への畏敬や祖霊信仰などから発生し、キリスト教など後発の宗教に侵害されつつも、何とか後世にその伝承を残すことができた。
そして残った伝承を、トールキンなどが題材にし、いわゆる現代的なファンタジー作品に仕立て上げた。
その精神はTRPGなどに受け継がれ、日本においてはテレビゲームやコミック、アニメーションなどに反映される。
そして現代の子供たちはそうしたものに囲まれて育った。そしてそうしたファンタジー世界へのあこがれは、思春期においてつまらない現実への否認の結果として少年らが耽溺するある種理想の世界として夢想され、黒歴史と呼ばれることになる創作活動や、現実でのファンタジー的思考の実践などなど……において反映される。これが(ファンタジー的側面としての)中二病である。
こうとらえるとき、神話や伝承を中二病とするカテゴライズに対して次のように言うことができる。
「神話や伝承は大昔の人の電波であり、中二病はその精神を受け継いだ思春期の陶酔である」
②反社会性を持つ。

①と②は併発することもある、というより反社会(反現実)という共通項を根本に据えるならば、同一の病気である。この観点ならば、某作品で議論になった「厨二病と中二病は違う」といった議論に対する一つの回答になるだろう。


「父の名」
ラカンにおける概念。象徴界の支えになるもの。精神に関する父性的干渉。
ラカンは人間は父の名に対して三つの態度をとるとした。抑圧(神経症)、否認(倒錯)精神病(排除)である。
ここで注目すべきは、すべて父の名に対して否定的な態度をとるという事である。つまり、父の名を完全に受け入れるような主体は存在しないということである。

「中立」
複数(しばしば2つ)の勢力のいずれにも組していない状態。
中立といってもその態度は複数あり「いずれにも関わらない」「いずれにも協力的」「いずれにも敵対的」「そろそろいずれかに参加したい」などがある。
ゲーム理論的に言えば中立者は自分の目的を達成するためにどのような判断が合理的かを探っており、そういう意味では一番面白いポジションだと思われる。

「巻き込まれ」や「無意識的参加」など、本人は中立のつもりでも勢力にくみしている状態もある。

「彫刻」
固体を彫って要らない部分を削って作品を作ること。
精神分析は彫刻の一種である。

「超越」
カースト的幻想。
「調子サーフィン」
造語。調子に乗ること。大いに乗ること。


「ツンデレ」
その性質は単なる萌え要素だけではなく、主流ストーリー及び部分ストーリーの骨格をなす。
好きだということを否認した状態がツンであるというきっしょい妄想がツンデレのキモである。
そういう意味ではフロイトはツンデレ萌えである。多くの精神分析家もそうであろう。死んで。

「テクスト」
なんらかの形で存在する言語。しかし拡大解釈すれば、世界はテクストであるといったような命題も可能である。
エクリチュールのみがテクストであるという判断は、テクストの多義性を見失うことになる。

「テクスト論」
文章は作者の意図によって支配されたものではなく、いったん存在すれば多様な解釈を許す公的な場に投げ出される。
しかしそれは他者による文章の把握を許すことを意味しない。それでは本末転倒である。文章は誰のものでもない宙づりのものとして存在している。

デリダは純粋に言いたいことは存在せず、表現は言語(多くは母語)によって支配されるものだと考えた。もし言いたいこと(シニフィエと対応される)があったとしても、それは言語によって変形、抑圧、圧縮されるものであり、そういう意味では、作者ですらも自分の言いたいことを把握するのは困難を極める。
自分の言いたいことを文章力や語彙力によっておもしろおかしく多彩に表現するのが、文学であると言える。

しかし精神分析家(構造主義者)は、言語は(とくに症状や物語において)構造化された無意識を発露すると考えた。
構造にとっては、言いたいことは存在するのである。構造は自分自身のことを発露しようと常に試みる。彼ら(構造主義者)にとって、構造は実在するものなので、構造の言いたいことと構造によって話されることは一致する。それらは言い間違い、隠喩などで発露するとされる。
なので構造主義者は他者の意識していない言いたいことを把握できるという妄想に駆られている。死んでほしい。心の底から。マジで。

メタトニー、なるほどな。

「ディストピア」
ユートピアの反対語……というにはその語義は複雑を極める。ユートピアに扮した悪質な社会、ユートピアの不可能性を示すもの、あるいはユートピアそのものが悪質な社会を示そうとするもの、あるいはユートピアのパロディ……など、さまざまな見解を取ることができる。
SFなどにおいて取り上げられ、多くは近未来における高度に体制化された社会を描かれる。その社会を構成するような人民は、多くが自らが幸福であるというような錯覚ないし欺瞞を持っているとされる。
そうした欺瞞に気付いた主人公などが、体制に立ち向かっていく……というパターンが多い。
社会という構造そのものがゴミということにはやく気づいて。

「底辺」
平面次元における多角形において人間が恣意的に設定した図形の底部の辺。
転じて社会の構成要因においてその幸福度合いや貢献性の低い人間を底辺と呼ぶ。
しかしその底辺にも差があるため幾何学における「辺」のような高低差のない概念で充分にその性質を説明することはできない。
そのため「底辺層」や「最底辺」などという幾何学的にはよくわからない概念が誕生した。
しかしそんな底辺を生きる彼らにもいつか猛禽の如き翼が生え、大空を疾駆する時が来るかもしれない。
「田園」
その豊富な土壌と水質から独特の生態系を構築する。
近所にあると蛙が増えた時期がうるさい。

「哲学者」
哲学し、多くの場合それを発表する人。
意味不明なことを言っている場合が多いが、哲学者はコミュニケーション、説明能力に優れているとは限らないので、わざと意味不明な言い方をしているのかどうなのかは議論が待たれる。


「倒錯」
性的快楽をヘテロセクシュアル以外で抱くもの。
その多様性は膨大である。一元論的に原因を説明することはとても難しい。

「登校拒否」
登校することを拒否すること。行ってもいいけどめんどうくさいから行かない……など、拒否と呼べないようなものも周囲の観点からそう言われることがある。
その原因はさまざまあり、単一の原因というよりはいろいろな要素が重なり合って登校拒否は起きると思われる。
筆者はネトゲにハマったのと中二病と宿題したくないのと学校への距離が遠くてめんどうくさいため登校拒否になった。あと少し病弱だった。
「同語重出」
造語。規範文法乃至一般的感覚において文章で繰り返されてはならないタイミングで同じ言葉が出てくるような症状。
筆者はこの症状の疾患者である。
例えば中二病の項においては
>この観点ならば、某作品で議論になった「厨二病と中二病は違う」といった議論に対する一つの回答になるだろう。

……と、議論という言葉が2回も出てきている。
言ったことを忘却しているのか、それとも一般的感覚が無意識的な強制力を持っていないのかなど、さまざまな原因が考えられる。

「投資」
財産をさらに増やすことを目的になんらかの対象に使う事。
筆者は「貯蓄は円に投資するも同じ」なる2chの書き込みによってなるほどと思い、投資することを決め、失敗した。大失敗した。
この思想はおそらく筆者のような無垢で純粋な人間を投資の世界に引き込み、利用することを目的に広められていると思われる。でも言ってることは(たぶん)正しいので反論もできない。
「トラウマ」
重度の心的外傷。精神分析においては主要な概念として活躍する。トラウマの再体験である「フラッシュバック」は死の欲動によってエスに望まれて再体験するものだと精神分析ではされているが、某カウンセラー(多分無名)は自分の処理できる範囲でトラウマに対する感情を処理しようとする防衛反応だとしていたり、その他の解釈ではトラウマの記憶時の神経細胞への過剰な書き込みによって想起されやすくなっているだとか、いろいろな意見がある。
さて、こうしたトラウマなる心的外傷への対処だが、精神分析はトラウマが起こった事態を言語化することが治療だと主張する。
しかしその詳細は異なるものの、心的外傷の起こった直後に行うトラウマの言語化である「デブリーフィング」は多くの学者から逆に症状を悪化させると言われており、ググってもPTSDなどに至った場合のその解決への根拠の十分な道はいまいち示されていない。
どうにもならないこともある。自分の精神であるからといって自在にコントロールできるとは限らないのだ。

「投影」
心理学の概念。心理的推測の飛躍の穴埋めとして機能していると思われる。

「富野由悠季」
初期~中期においては陰惨な作品を作っていたが、髪の毛と一緒に棘も抜けたのか、今はそこそこ明るい雰囲気の作品を作っている。
「道具」
人間に一方的に使われるものと思われがちだが、ある意味では人間に従属を強いる。
ハサミはわっかに指を通さないと使いにくいのである。
「努力」
ある目標に対してその実現のために行動すること。
才能と対置される概念とされるが、物事に取り組む際の集中力、持続力は遺伝的差異があると思われ、そう考えると努力する才能というのは実在する。
むしろ汎用性において努力できる才能というのは才能の中でもトップクラスの位置に座するだろう。
某漫画の眉毛はさらに良質の師(作中最強クラス)にも恵まれている。やっぱ人生って運だわ。
その師の父親(にして師)も凡人だったが、10年という長い歳月をかけて禁術を成功させてそれを伝承するという面において恵まれた師であるといえる。人生って運だわ。

  • 最終更新:2017-03-22 03:52:35

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード