は行

「パーキー・パットの日々」
人生ゲームみたいなゲームを遊び現実逃避する大人と現実の荒廃した世界を生きる子供。
過去にあった核大戦以前の世界を夢想し、ゲームを通じてその世界を再体験する。
しかし徐々に夢から覚めていくのだろう、ということをラストは示すと思われる。

「パスカルの賭け」
幻想を信じることの典型的正当化。
キリスト教の神を信じることで約束される無限の幸福の期待値は無限であり、無神論、ほかの宗教より合理的だと主張される。
ドーキンスは神は信仰に報いない可能性もあるという鋭い指摘を行った。鋭いには鋭いが、彼らしい謙虚な指摘である。
でも神を信仰することの期待値は相対的に失われていない。それは0以上として定義されているから。信仰しないことの期待値が0以下だから。

でも、この世界の神は天邪鬼だったら?信仰したものを罰し、信仰しなかったものを幸福にするとしたら?
天邪鬼という極端な存在を考慮しなくてもよい。
絶対的存在に阿諛追従しようとし、その権力で他者を罰し、否定した者たちが善とでも?
そうした圧力に屈せず、抵抗を続けた者たちが悪とでも?
どんな神も前者を救い、後者を罰するとでも?
もしかしたら君たちが信じようとしてるものは、君たちに無限の苦しみを与えるかもしれないね!よかったね!


「バタイユ」
所謂ヘンタイ。ヘンタイでも突き詰めれば思想家になれることをフロイトと共に証明した。
ラカンの診察を受けたりしてるが本人は治療する気など毛頭なかったと思われる。

「発筆」
造語。書き始め。加筆に対する概念として作られた。
「パクリ」
あるものを所有者に無許可に盗難、剽窃すること。所有者が居る場で無理やりうばうことは強奪と呼ばれる。
ジャック・デリダによれば、我々は常に他者の模倣をしている。(無意識的に)したがって我々の活動はしばしばコピーライトが必要なものなのである。
ふとして出した言葉を検索などしてみると、元ネタが出てきて、あーそういえばこれに影響されて言ってるわ、みたいな経験はないだろうか。
ふと頭に思い浮かんだメロディが実は昔聞いた曲だったりしないだろうか。
近年データベースの発達によってさまざまな「パクリ」が露見してしまうことがある。その中にも意識的ではない無意識的なパクリがあったかもしれない。
そう考えると創作者たちは常にこの無意識的パクリの病状におびえなければならないのである。
でもそんなこというと著作権とかいろいろな権利がアレになるので法律の場では───少なくとも法律によって裁かれる───「パクリ」は限定的なものである。

「パラノイア」
妄想狂。ネットで煽りなどに使われる「統失」は実はパラノイアの意であることが多い。
ひどくなると自分は神のセックスパートナーであるといってアウラを感じたり
自分は天使であると心から信じているといった症状が発生する。
「それネタで言ってるだろw」と言うような言動に立ち会うことがあるかもしれないが、その人は実はパラノイアかもしれない。
しかしパラノイアは正常さの延長線上にあるものと考えられ、精神分析などでは混沌的で逸脱的な統合失調症(分裂症)とは区別される。
パラノイアは、その妄想が関わる場合を除けば社会的には普通、むしろ「いい人」(洗脳されやすいので道徳観も強かったりするみたい?)に属すると言われる。
でもその妄想の内容・定義が活動などにおいて頻繁にかかわるものであれば、周りからは「あ、こいつやべえ」と思われることになる。
(妄想などの症状はしばしばその内容・定義によってその病気の重度が決定されることもある。例えば自分は真人間であるという妄想はひどく信じていてもあまり活動に支障をきたさないが、自分がスーパーマンであるという妄想は、ひどく信じているとベランダから飛び出したりしかねないのである)
上の具体例からすると、神も天使も善性・権力側の存在である。統合失調症の人間は「自分は乳母車である」とかどういう価値観に基づいているかわからない妄想をする。(でも無理やり解釈することも不可能ではない……といった議論は分裂症の項に移動する)
筆者は統失ではないと思われるので推測であるが、パラノイアと統失の差異のひとつに
統失は自分の妄想が現実だと思っているが、必ずしも他者の同意を得られるとは思っていない のに対し
パラノイアは自分の妄想が現実だと思っており、他者の同意も得られると思っている ……という雑な仮説がある。
そのためパラノイアは他者に自分の妄想の同意が得られないと混乱し、憤慨する場合が多い。
「パロディ」
ある創作物(創作者は不詳でもよい)を模倣したりして別の印象を与えるもの。異化効果などが生まれることもある。
某作品における「信じれば夢は必ず叶う!」などはそうしたパロディの異化効果の典型である。
この辞典も悪魔の辞典とかウィキペディアとかアンサイクロペディアのパロディ……かもしれない。

「万能なターム」
造語。その体系の考察の対象である現象を説明するさいに頻繁に用いられるターム。これさえ言っておけば大丈夫みたいな。
キリスト教の神のような悪のような行為もするし悪魔を見逃すし論理なんて神の前では無力と言ったような性質を持つにも関わらず絶対善、しかもあらゆる現象は神の御業であるという権力的であいまいな定義を持ったターム。

キリスト教の神(の御業)、初期フロイトにおけるリビドーなどが該当する。
アンサイクロペディアのラカンの項では、「ファルス」の概念がこの万能なタームであるかのような指摘があるが、そこまででもないと思う。

「ヒクイドリ」
走鳥類の一種。オスは子育て時に子供の前で果実を割り与える習性を持つ。
「筆者」
「そのもの」を書いた存在の事。この辞典においてはこの辞典の筆者を指すことが多い。ていうかおそらくほとんどそうになると思われる。「この辞典の筆者」という表記を用いないのは面倒くさいためである。
「人と思想」
なんか真緑の気色わるい色をした思想本シリーズ。かなりコンパクト。触りのことしか書いてないことが多いがwikipediaなどでの情報では満足できない人のために。
「表象」
人間の精神に立ち現れる(多くは内的の)現象。
精神分析は「それを望んでいるから、表象するのだ」というテーゼを含有しているが、この命題には飛躍がある。
この命題より飛躍の少ないであろう命題は「それを表象することを望んでいるから、表象するのだ」である。この違いは重大である。また後日。
「備忘録」
忘れないように書き留められた書物。この辞典も備忘録を兼ねてる。
「飛躍」
ジャンプすること。
どんな論理にも実は飛躍がある。命題とはジャンプ無しには成立しないのだ。君もレッツジャンプ。
「平野啓一郎」
熟語の段々畑と称される(誰によって?)均整な文章が特徴的。

「部分」
全体を構成するものの一部。しかし部分の独立性は、全体に抑圧されがちである。
「部分ストーリー」
造語。長ったらしい物語にはしばしば主流のストーリーの中に(主流と比較して、あるいはサブ的な)小さなストーリーがある。
部分ストーリーと主流のストーリーを同時に完結させて、主体の感動を誘うという手法も多い。
「フェミニズム」
女性は不当な抑圧を受けてきたとしてその男性的な抑圧から女性を解放しようという運動。
この定義からするとレディーファーストなどはフェミではない。
主に社会への女性参画を訴える場合が多いが、女性の戦場への軍事参加、土方などの労働作業はあまり話題に上らない。
女の子はか弱いから仕方ないね。
行き過ぎたフェミなどは結婚してる女性なども叩く。

「フェティシズム」
覆いに大いに興奮すること。覆いで欲望をストップさせることで、覆いの向こうの外傷とは紙一枚で遭遇しないという利点がある。
フェティシズムにおける興奮は、フェティシストにとって言語化できない神秘的な何かであり、それはフェティシストに多大なる充実感をもたらす。
エビングは特別な対象を使わないと性的興奮できないことをフェティシズムと呼んだが、ならばヘテロセクシュアルでしか興奮できない人間はフェティシストなのか?という疑念は存在する。

「腐女子」
男同士をカップリングして楽しむ女性。また広義には乙女ゲーなどが好きな女オタクも含める。
前者の男同士が性的に絡む描写などは男性にとっては生理的嫌悪感を催すものであるため、男オタクからの腐女子への風当たりは強い。
そんな傾向があるためか一部の腐女子はイラストサイトなどでもわざわざ作品タイトルにスラッシュを入れるなどして細々やっている。

女が来るとコンテンツが腐る、などとは男オタクがよく用いる警句であるが、初期のガンダムなどを支えていたのは女性である。
フィリピンなどではエリート層がたしなむものらしい。

現代思想のひとつであるフェミニズム的な観点からも面白い存在であるためか、彼女らに対するやたらインテリな見解がwikipediaなどでは見られる。

「プレッパー」
大災害などの政府やライフラインがまともに機能しない事態に備え、備蓄や訓練を行っている人たち。日本にもいるかは不明。
ナショナルジオグラフィックなどで取り上げられ、その終末に対する態度は日常の平穏に浸っている多くの人をドン引きさせた。
キリスト教的価値観からくるアポカリプス思想などから影響を受けているなどの予測を立てることはできるが、最も大きな理由は政府、および地域社会への非信頼性だろう。
困ったときに頼れるのは自分だけという考えは間違ってなくもない。特に政府への信頼というのは現代社会が抱える重大な病理である。
しかし彼らが生きているうちに黙示録的カタストロフィが訪れるかどうかは定かではない。ただ本人たちもそこそこその備蓄や訓練そのものを楽しんでいるふしもあり、これはこれでいいのかもしれない。
「文」
意味素による意味の連なり。本来は音声なども含めるが、書き言葉に対して用いられることが多い。
発光信号なども文の一種である。しかしこの定義では「がふgはういhfなうふが」などの意味を持たない文字の連なりなどについては文と呼べない。
困ったものである。
「分裂症」
統合失調症の前語。精神分析的な文脈から哲学の世界では今でもたまに使われる。
散逸的で混沌的とされる病気だが、その症状には分類的な同質性が見られ、純粋な「カオス」であるかどうかは疑問が持たれる。
言葉のサラダと言われるような症状にも、一定の解釈を施すことは不可能ではない。
2chによる症状の報告では、「ほかの人はみんな頭にスマホがある」という妄想を訴える患者が居た。
これは単純に、脳の多機能性、計算性をスマホという言葉で表現している……といった解釈は、おそらくほとんどの人間に浮かぶであろうと思われる。
おそらく意識にも無意識にも、純粋なランダム性に基づいて妄想や文章を構築するのは難しい。そこになんらかの傾向を見取することは、困難であれど、不可能ではないと思われる。



「糞尿譚」
芥川賞受賞作品における最高傑作。
棄却され、抑圧されてきた主人公が、まさにその汚物性を持って、自分を差別してきた人間に復讐する様は、クリステヴァの「恐怖の権力」を想起させる。

「ホイミ」
回復魔法。語源は謎である。
「法」
なんらかの物事を禁止すること。またその体系。
精神分析においては超自我だけに対応する───と思われるかもしれないが実はイメージに反して快楽原則も法である。
欲望の追及の限界突破である破滅的享楽を禁止する法が快楽原則である。ほどほどが一番であるということである。ご褒美に快楽が貰える、よかったね。

「補完的概念発生」
造語。体系学に関連する。
あるタームの不備を補うために新たな概念が発生することを言う。
精神分析の「死の欲動」と「快楽原則」の関係がそれに値する。

「捕鯨」
主に海洋、またはダライアスで行われるクジラを狩る行為。
クジラやイルカを狩るというのは残虐という批判は、的を外した批判であると言わざるを得ない。生物の命の価値を階層づけて考えるのは、傲慢な考えである。

とはいえ、同じく絶滅が心配されている食用として人気なウナギとちがい、クジラ肉はそこまでうまいという評判もなく、
捕鯨によってもたらされる国益も微々たるもので、日本の伝統などといっても歌舞伎などとは違いそこまで捕鯨文化そのものに対する国民の関心は少なく、なぜ日本が捕鯨にそこまでこだわるのかというのは、無知な筆者には解答できない。

「ポストモダン」
近代の行き過ぎた理性主義とその失敗への反省から生まれた思想。
原始的で破壊的なヒャッハーイズムなどと違うのは近代への反省が含まれているかという点である。

「ポスト構造主義」
構造があることはわかった。じゃあどうするよみたいな思想。
構造そのものの存在を疑う思想はポスト構造主義とは言わない。
「ボボボーボ・ボーボボ」
続編?のようなものも出ている。

「没入的排除」
造語。物事にどっぷりつかっていると、周りの者が見えなくなったり聞こえなくなったりする。
「ほとんど首なしニック」
ハリーポッターの登場人物。首が(たしか切断されかけて)ほとんどなくなっている。
この辞典では転じて本来あるべき(重要な)接続がほとんど途切れそうになっていることを示す。
「本質」
物事に本来的に備わっている性質。

  • 最終更新:2017-03-21 02:54:12

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