ま行

「間違い」
事実と違っていること。自らの過ちを認めることは大事である。
この辞典においても「あーそういえばこうじゃないわ」と間違いに気づくことが多々ある。しかしめんどうくさいので修正しないことが多い。
認めることと実際に修正を実行に移すことは違うのである。たぶん修正を実行に移すのは大事。

「マスク」
ネットでは風邪やインフルエンザの予防に効果はないとされているが、関西医科大学の報告によればそれなりに効果がある模様である。
風邪やインフルの感染の主なものは飛沫感染であり、飛沫はマスクでかなりシャットアウトすることができる。また二次的効果としてウィルスの活性化を防ぐ役割も持っている。みんなマスクつけよう。

「まなざし」
精神分析においては他者の眼。他者の眼は主体に様々なことを強制する。
多くは幼児期に内面化され、主体への見えざる強制力となっていく。
フーコーにおいてはハイデガーの「関心」と関連が深い。主体がものを見、秩序化して理解するときのまなざし。
厳密には両者のまなざしは、同じものであると言える。精神分析はまなざしが人を捉えたとき、人はどうなるのか?という点に着目した。

「見るなの禁」
精神分析的理解もよいが、「後ろを見るな」と宣言するということで「後ろの存在」を主体の意識に昇らせてしまう。だからふと振り向いてしまう。そうした単純な解釈もまた可能である。

後者の単純な理解は「キリンのことを考えるな」と言われて起こる現象に説明がしやすい。

「未知の領域のイニシアティヴ」
マインドコントロールの手法。ある人にとって未知の領域があることを提示し、その領域に対して独占的な解釈を示すことで洗脳する。
精神分析などがこれに該当する。

「無」
めんどくさいので存在の項を参照。
「無意識」
人間ないし動物が意識外で行っているとされる情報の認知及び力動。
ラカンは無意識は言語のように構造化されているとする。
言語(象徴界)が無意識に構造をなすことはラカン論にとって事実であるが、「ように」とはどういうことか。
この言葉にあまり説明はしていない。おそらく言語の隠喩性、メタトニー性のことなどを言っていると思われる。
おそらく言語でない心象、イメージなどの隠喩性、メタトニー性のネットワークのことである。
でもエスにとってはそんなの関係ない。暴れる。暴れまくる。その調子でぶっ壊せ。
「矛盾」
なんでも貫ける槍で何物をも通さない盾を攻撃したらどうなるの?という指摘から生まれた。
某作品において「これは防御に成功しているので盾の勝ち」とする意見があるらしいのだが、
半ば論理学的議論を「勝ち負け」にすり替えているのは「?」である。

さて、転じて相反する命題ないし行動を同時に主張、起こすことを矛盾と呼ばれることが多い。
しかし厳密に考えてみると矛盾ではないということもあり、何かを矛盾であると指摘するには注意が必要である。
例えば帰り道、分かれ道で左折を続けていた人間が突如として右折した場合、それは「今まで左にいっていたのに右にいった!」という矛盾であろうか?否である。本人はちゃんと家に帰るという目的に一貫して行動していたのである。
でもあまりそんな風に矛盾かどうかという議論に発展する場合はすくない。矛盾としたいものは矛盾というレッテルを貼るのが目的でそうした議論に興味はなく、レッテルを貼られた側はしばしば矛盾ではないと主張するので手一杯である。矛盾っぽいことを矛盾でないと証明するのは難しい。

「無敵の人」
無職など失うものが何もなくなり、犯罪をしてもいいかなみたいな考えを抱きそうな人。
友達などもいないため必然その犯罪はローン・ウルフとなることになる。
犯罪を起こすときには児童や通行人などその辺の人間をぶち殺すタイプが多い。
しかしこれは考えてみると八つ当たりであり、彼らを苦しめてきた人間にダメージがあるかは疑問がある。
お前らそれでいいのか?お前らを苦しめてきた人間はお前らの行為を見てせせら笑ってるぞ。



「メシ漫画」
グルメ漫画とはちょっと違い、料理そのものでなく、料理を食べる雰囲気なども重視される。
孤独のグルメがふたばなどで盛り上がってきたあたりから(2010年ぐらい?)流行ってきたような気がする。

「命題分岐」
造語。ある事柄からある命題が導かれた時、そのある事柄からその命題と相反する別の命題が導けることを示し相対化する手法。
デリダはこの手を使う。

「網性」
造語。網のような性質。ネットワーク性についてはすでに語義があるので、「網という道具」の性質に着目した語である。
網はものを捉え、可変的なものである。

「森田療法」
気分本位と目的本位という階層的2項対立を設定し、治療法というよりは一種の人生論の様相を呈する。
ocdの外傷については楽観的に、行動しながら放置しておけばそのうち減退していくという見解を示している。それは単なる抑圧にすぎないのではという精神分析的批判ができる。


「妄想」
自分の想像上の物事を現実だと信じること。またそうして信じられるもの。
現在では単なる空想も含まれる。空想というにはなんか俗っぽいとか、品がないとか、そういった自虐的な意味合いで使われることが多い。

「物語」
大体において人間や擬人化されたものの事件の散文。
しかしこの説明では満足できねぇぜ……という人が多いらしく、すべての物語はエディプス・コンプレックスだとか、すべての物語はビルグンドゥスロマン(大人への成長物語)だとか……男と女と銃が必要だとか、いろいろな拘束をつけたがる。
そうした人たちはしばしば構造主義者、もっと言えば文学を評価する際に自らの信仰する構造に基づいてその忠実さを評価する人が多いので、「エディプスは父を殺して母を手に入れたイエー!」とか「たけしは成長して大人になった」とか「男が銃で女をうった」とかそういうもので満足するはずである。満足するよな?満足しろよ。構造主義のボケどもが。
とくに最後の「男が銃で女を撃った」という物語には、欣喜雀躍として男がその象徴たるペニス───銃───で女を暴力で支配している!として飛びつくに違いない。これは作者の無意識の階層的二項対立の反映だ!などと。
この物語の作成において男がうつか女がうつかはその時見たデジタル時計の時刻の末尾が偶数か奇数かで決められたものとしらずに。

  • 最終更新:2017-04-15 01:54:30

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