や行

「夢」
人間が睡眠時に見るある種の空想。ほかの動物も見ているとされる。

京極夏彦の「魍魎のはこ」にたしかおびただしい骸骨の前でセックスする男女なる記憶が夢か現実かわからないという人間が出てくる。
それに精神科医の斎藤環が「記憶というのは状況とセットなのでそうした混濁は起こらない」と主張した。

……さて、夢を見ているときは明晰夢でない限りは現実と認識されているはずである。したがって、記憶とはその時の状況とセットだ、といっても、夢を見ているときは現実として体験している状況なのである。夢というのは起きた後反省によって判断されることである。
そもそも記憶される時の状況の判断において「夢」か「現実」かという判断が無意識的になされるかは疑問が持たれることである。
多分これは水中で物事を経験したさいの水中とそうでない場所での想起の差異……という実験によって報告によるものに基づく……と思われる。夢と現実という判断を、水中と大気中という物理的な判断と同様に扱っていいのかという議論もある(誰によって?)

ていうか個人的経験で申し訳ないのだが筆者はあれこれ夢だっけ現実だっけ……という記憶がままある。斎藤にはそういった経験はないのだろうか?
明晰夢も個人差があるらしいのでそうした経験がない人間もいるかもしれない。

「要出典」
wikipediaにて用いられる、要するにソース出せ、の意。
鬱陶しくとらえられがちだが、情報の真偽判断において、出典元は重要であり、その情報がどのように発生したか、そしてどのように伝達されたかなど、まさに情報自身の重要な情報が出典元とその経路には詰まっているのである。
しかし人間にとっては情報の真偽ではなく情報がどのように機能するかのほうが重きを置かれる傾向があり、そうした観点からみれば、情報の権力性を揺るがす出典元というのはまさしく邪魔、余計な存在であり、そうした感情が、要出典という存在をたたかせている原動力だと思われる。
「よくわからない」
この辞典においてたまにでてくる言葉。
無知の知による積極的な知への追及とは違い、わからないので考えを放棄したい時に使われることが多い。時間は有限なのである。

「抑制(心理学)」
某サイトによれば、自分の意識にあがってきた感情などを実行などに移さないように抑え込むこと。
精神分析ではあまり重視されない。原因は無意識にあるからである。

「欲望」
何らかのものを欲すること。哲学厨が好む言い方は、「何らかのものが欠けていると感じ、それを欲すること」である。
ヘーゲル─コジェーヴ─ラカンなどは欲望は他者の欲望であると言う。
他者が欲しいというものを欲しがったり、他者にあなたはこうあってほしいと思われてそうなろうとする姿などは、他者の欲望であるとされる。
両者は根源的には同一のものであるが、その重要性からわけて説明される(たぶん)

精神分析においては鬱病(抑うつ)の人間はなにも欲しがらないのではなく、無を欲望、摂取しているのだとする。このことはしばしば「無を食べる」と表現される。それはフェテシズム的な欲望の偏食であり、鬱病はフェティシズムの仲間と言える。
無を食べることは、理屈的に精神的には恒常的で安定した供給によってもたらされるものであり、そうした状態にあることは主体の行動力を奪う事を引き換えにある種の安心を与える。
鬱病の人間が「頑張れ」と言われて過剰に反応するのは、その語義上、「もっと欲望しろ!」より正確には「無以外のものを欲望しろ!」と言われているのも同じだからであると思われる。
そうした意味では「頑張れ」という言葉に反応する鬱病の人間は、精神分析の肯証だと思われる。
原始仏教の僧侶などが目指す無と、鬱病の食べる無に違いがあるかは微妙な議論がある。
精神分析においては主体の隠れた目的は「石のような存在」を目指すこととされ、それが前者のいう無であるとされるっぽい(ラカンは仏教に共感をしていた)のである。その石のような存在と鬱病の状態が同じであるかは、説明がされていないのでわからない。



何らかの神秘のヴェールをはぎ取ろうとするのも、そこには「隠された」「欠けた」ヴェールの向こう側があるからである。つまりは欲望である。
しかし何らかの行為でそのヴェールをはぎ取ることに成功すると、そうして見せられるものの多くは「つまらないもの」であったり「外傷的なもの」であったりする。それが「対象a」である。人間はヴェールの向こう側に多大な夢を抱くので、そうした期待を裏切られるわけである。これが欲望と対象aの関係である。
ラカン的には物語は対象aを覆い隠すヴェールをはぎ取るまでの道のりであるストーリーと、ヴェールをはぎ取る「オチ」で構成される。もしその続きがあるとすればそれはエピローグである。
その場合ヴェールをはぎ取った結果「いいこと」をもたらされる場合が多い。「幸せの蒼い鳥」などはそうした物語の一例と言える。所謂ハッピーエンドである。

  • 最終更新:2017-02-21 12:18:21

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード